浜田麻里は国宝級の女性ボーカリスト

ブログを書き始めるにあたってどうしても最初に記事にしたかったのが「浜田麻里」 exclamation

「浜田麻里」知ってる人は知ってると思うけど、1988年にソウルオリンピックのテーマ曲となった「HEART AND SOUL」をヒットさせ翌1989年には「RETURN TO MAY SELF」(しないしないナツ)をヒットさせ、当時の人気アイドル「工藤静香」や当時絶好調のガールズバンド「プリンセスプリンセス」をダントツで引き離してオリコン1位になった女性ロックシンガーです。

たいていの人は浜田麻里がテレビなどのメディアに出演するようになったここら辺のあたりだけ知っている方が多いのでは?

ここで浜田麻里について解説しておこう!

<以下ウィキペディアから引用>
名前  浜田麻里
出生 1962年7月18日(2010年5月現在47歳)
血液型 A型
学歴 東京都立武蔵丘高等学校卒業
青山学院大学中退
出身地 東京都
ジャンル ヘビメタ〜J-POP
職業 シンガーソングライター
活動期間 1983年〜
レーベル 徳間ジャパンコミュニケーションズ

浜田 麻里(はまだ まり、1962年7月18日 - )はシンガーソングライター。東京都出身。血液型はA型。

元モダンチョキチョキズのメンバーで女優・タレントの濱田マリとは違います。

中学生の頃からコマーシャルソングの収録に参加していた。
都立武蔵丘高校入学後はパンクロックバンド「麻里バンド」を結成、のちに青山学院大学に進学し「Misty Cats」のヴォーカルとして活動。

1983年4月「麻里ちゃんはヘヴィ・メタル」のキャッチフレーズでメジャーデビュー。1980年代に女性ロックヴォーカリストの旗手として注目を集め、当時のハードロックジャンルとしては異例ともいえるアルバム売り上げを誇っていた。1985年には初のシングル盤となる「Blue Revolution」を発表。この頃からプロデューサーとしての活動も行うようになる。

1987年発表の「In The Precious Age」からスタジオを海外へ移し著名なプロデューサー、ミュージシャンを起用しアルバムを製作するようになる。

この頃から初期にみられたハードロック色の強い曲調からポップさも取り入れた幅広い音楽性を表現し、ファン層をさらに広げる。1988年にはソウルオリンピックのNHKのテレビ・ラジオ中継のイメージソングとして「Heart and Soul」が採用された。翌1989年の『Return to Myself 〜しない、しない、ナツ。』がオリコン初登場5位。その後、プリンセス・プリンセスの「Diamonds」や工藤静香の「嵐の素顔」などと熾烈な1位争いの末、登場6週目にして1位を獲得した。同タイトルのアルバムも1位を記録。また同年に行われた日本武道館での単独コンサートも成功させた。

1990年代に入るとアジア、ヨーロッパなど海外でもCDデビューを果たした。1993年にはチャリティーグループ「USED TO BE A CHILD」に参加。1996年にはアルバム「Persona」を発表するが、以降ライブ活動はしばらく休止する。2002年、赤坂Blitzにて9年ぶりとなるコンサートを行った。以降はほぼ隔年ペースでオリジナルアルバムを発表、年1回のペースでライブツアーを行うなど、精力的に活動している。
<ウィキペディアから引用ここまで>

そうなんです。浜田麻里は、遡ること既に1983年に、ヘビーメタルバンド「ラウドネス」のドラマー樋口宗孝(2008年永眠)プロデュースの元、ヘビーメタル界から「ヘビメタ界のアイドル」「ヘビメタクイーン」としてデビューしていて、その独学で学んだシャウト唱法と、パンチラミニスカの衣装と当時の女性ロックシンガーにありえない美貌とルックスで当時のヘビメタ野郎どもを悩殺したものだ。
黒ハート

当時おいらもこんなキャシャな体の何処からあんなハイトーンのビブラートやシャウトが出来るんだろうと思っていたものです。

でもステージを降りると、いたって本人はおとなしく、音楽に対する取り組み方がハンパなく真面目で、常にお客さんにいい歌を提供し、楽しんでもらうことを考えていたようです。それは近年のライブのメイキングシーンのDVDをみてもわかるように、彼女は会場への移動や楽屋でもマスクをして喉を守っていることからも伺えます。

また、当時のテレビや雑誌のインタビューなどでは、自分の考え、音楽に対する姿勢、ポリシーを持った非常にしっかりとした受け答えをしていて育ちのよさも伺えます。

1983年4月に20歳でリリースしたデビューアルバム「Lunatic Doll〜暗殺警告」から数年間はバリバリのヘビーメタルでヘビメタ界のアイドルとして確固たる地位を確立していきました。

デビューアルバム「Lunatic Doll〜暗殺警告」から「NOAH」です。この頃はまだまだ歌は荒削りでバックバンドの「ZEUS」の演奏もまだまだという感じでしたが、デビュー当時の初々しい感じがいいですね!



同じくデビュー当時のヘビメタナンバー「バイオレンスファイアー」
これは当時の深夜番組「オールナイトフジ」に出演したときのスタジオライブですね。歌っているときの迫力とトークでのおとなしさのギャップが浜田麻里らしさを現しています。



1983年のデビュー当時から、ヘビメタ界のアイドルとして注目を浴びたために当時の歌謡番組(今でいうJ-POPランキング番組)にもたまには出演していたようです。
ですが、ヘビメタ界では、ルックスばかりでなく超絶ハイトーンボイスの圧倒的な歌唱力が人気だったのですが、こと歌謡業界においては、当時も今も「ヘビメタ」というジャンルは売れないということで、商業優先主義の日本の歌謡業界にはその圧倒的歌唱力は評価されないまま、ミニスカの衣装のためか色物扱いで終わっていたのが非常に残念でした。
これもその頃(1984年頃)のライブ映像で「PARADISE」



次に1985年リリースの「ブルーレボリューション」でヘビメタ界での人気は最高潮に達したと思う!
ブルーレボリューション」のカッコよさといったら当時のおいらもぶっ飛んだものです。
そして「DON'T CHANGE YOUR MIND」とても人間技とは思えないハイトーンシャウト!もう「凄い!カッコイイ!」とひたすら家で車でカセットテープを聴きまくっていたものです。
耳












浜田麻里は1987年頃のアルバムから、ポップ路線になっていきました。そしてテレビの歌番組などを通じてヒットしたのが前述の1988年の「HEART AND SOUL」や1989年の「RETURN TO MAY SELF」(しないしないナツ)などです。
バブルな衣装が当時の世相を反映してますね!






しかし、このころから、「売れせんに走った」などという、メディアからの彼女に対する風当たりが強まっていったように思えます。

しかしこれは浜田麻里自身が当時のインタビューでも語っていたように、様々な音楽を聴いたり歌ったりしている音楽に取り組む姿勢が非常に真面目な彼女が、いろんなことに挑戦してみたいという彼女なりの自然な変化であったと思えるのです。単純に「売上げを上げるために路線変更」したというような短絡的な誤解を受けていたように思えます。

女性ロックボーカリストといえば1970年代に遡れば、カルメンマキ金子マリなど凄い人たちが何人かいました。

80年代の当時では、女性のロックボーカリストには本城未沙子や歌謡ロックの早川めぐみなどもいたが知名度、人気、レベルとも浜田麻里がダントツで、おいら的には1985年にメジャーデビューしたスゴイ演奏テクニックをもったガールズハードロックバンド、「show-ya」が現れるまでは当時のヘビメタ界では女性としては唯一の存在であった。

浜田麻里がデビュー当時から現在まで一貫して自分の言葉やスタイルを貫き通してきたのは紛れもなく事実である。
それは浜田麻里が近年ライブ活動を再開し毎年積極的に展開しているそのセットリストで伺われる。

ポップ路線の曲で浜田麻里がテレビなどのメディアにちょくちょく出演していたのは1992年あたりまでだと記憶しています。「RETURN TO MAY SELF」の後も「NOSTALGIA」や「PARADOX」といった哀愁のある憂いをおびた非常にいい曲をリリースしていきました。
わーい(嬉しい顔)





しかし、このあたりを境においらは、浜田麻里を聴かなくなっていったのです。理由は彼女がメタルを歌わなくなったのと、ポップ路線の曲もいい曲が多くてよかったのですが、海外に活動の拠点を移していったので、だんだんとテレビ出演も減り自然と離れていったのだと思います。

実際この頃から活動の拠点を海外に移し、TOTOなどの有名ミュージシャンとも競演したりプロデュースをうけたりしながら海外で活動、レコーディングもしていました。またアジア進出もはたし、成功を収めていったのでした。でも、それが事実上日本のファンを減らす結果につながっていったようです。

でもコツコツと曲を作り続けてアルバムは発表していたようです。



しかし、アジアでの成功を収めたのにもかかわらず浜田麻里は1994年頃からライブ活動を全くやらなくなりました。また、その後レコード会社の移籍問題の絡みもあって、アルバムの発表も停滞してしまったのです。
それがますます日本のファンを減らしていくことになっていったみたいです。

私も恥ずかしい話ですが去年までは浜田麻里の存在すら忘れていたのです。海外に渡ったきりなのかなとか・・・。でも実際はレコーディング以外はずっと日本に住んでいたそうだけど・・・。
ふらふら

でも去年(2009年)youtubeで急にふと、浜田麻里が頭に浮かびライブ動画を検索して1980年代や1990年頃の動画をみて、懐かしさに浸っていたら、なっ、なんと現在のライブ動画もある・・・!
「っていうか今もライブやってたんだ〜」
「ワっ!すんげぇ〜!全然昔と変わってない!っていうか昔以上に声出てるし!ワっ!かっこいい〜!」
わーい(嬉しい顔)

そうなんです。浜田麻里2002年から9年ぶりにライブ活動を再開させ、それからは毎年精力的にツアーやコンサートを開催。2003年にはデビュー20周年ライブをやり、2008年には25周年ツアーを行い完全復活していたのでした。そしてDVDもリリースされていたんですね!







そのことをおいらは知らなかったのです。本当に恥ずかしい!
1994年頃から2008年までの浜田麻里をみることが出来なかったことが今さらながら悔しいです!ふらふら

そこには、まるでとりつかれた様にネットで
「25thライブDVD」
「2002年marigoldライブDVD」
「20thライブDVD」

ついでに
「80年代の復刻版ライブDVD」

を速攻で注文しているおいらがいました!わーい(嬉しい顔)

そして最近は最新CD 「AESTETICA」まで注文!

注文したDVDをみて、もう20年ぶりにぶっ飛んでいます。浜田麻里はやっぱり凄い!神だ!日本国宝級だ!
ハートたち(複数ハート)

2000年代に入ってから80年代のようなパワーのあるメタル調の新曲ナンバーをどんどん復活させ、ライブでもメタルあり、ポップ調あり、バラードあり、まるで80年代に戻った、いいや当時以上にパワーアップした彼女を垣間見ることが出来る。

そのパワーたるや、ハイトーンのビブラート、シャウトはキーをまったく落としてないのにも関わらず80年代のときより太くなっているし、妹の絵里ちゃんの、もうコーラスのレベルを超越したツインボーカルとも形容したい超一流のコーラスも健在だ!

ここで浜田麻里の妹の浜田絵里について説明しとこう!

浜田絵里といって浜田麻里の妹だ。浜田麻里のあの高音のBacking .Voを務めるには、彼女に負けないくらいの歌唱力が必要となる。そこで妹の登場なのだ。声質も似ているし、高音も出る。25年前も絵里ちゃんはステージに居た。お姉ちゃんに負けずの美貌といい、何と言う姉妹なのだろうか!

浜田麻里のデビュー当時はコーラスが実の妹であることを隠して「ERI」という名前でメンバー紹介していたらしい。
でもだんだん隠せなくなってステージ上で公表し本名で紹介されるようになったらしい。

妹の絵里ちゃんは引っ込み思案なためステージ上ではほとんどしゃべることはないのだが、コーラスとして姉を25年以上も支えてきたそのけなげさには感動する!まったくものすごい姉妹だ!
ぴかぴか(新しい)

絵里ちゃんはライブでも大人気です!
姉はきれいで妹は可愛い系だし。どちらも抜群の歌唱力があり最高・最強の姉妹ではないでしょうか!

25周年のライブでは姉の麻里ちゃんが「私の人生に引き込んでます(笑)」って言ってたけど、ずっと一緒に最高のステージみせてもらいたいと思いますね。

次の動画は1989年の「RETURN TO MAY SELF」のスタジオ撮りPVだが、なんと普段前面に出ている浜田麻里が後方にいて、前面に妹の絵里ちゃんが移っている時間が多いのだ!
大変珍しいPV動画なのだ!



なお、妹の絵里ちゃんも実は秘密裏にCDを出していました。
「Willing」という曲。お姉ちゃんより音圧はないけど、通りは姉より良いですよね〜。いい意味でめちゃアニソンむけの声だと思います。



浜田麻里はその後も精力的にライブ活動やアルバム作成を再開させて、今でもロックスピリットを貫いたまま孤高のアーティストとして活動しているんです。日本の音楽業界からはもっと評価されてもいいアーティストだと思います。あの大黒摩季小柳ユキが影響を受けたアーティストは浜田麻里として公言しているほどですから・・・。



また、浜田姉妹と一緒に年を重ねてきた増崎孝司をはじめとしたバックのサポートミュージシャンたちも変わらなく素晴らしいし、いい味を出している。

メンバーが全員がもう40代を超えている。浜田麻里自身もう47才。普通の47才ならもうありえね〜から、っていうくらいのストイックなまでのパワー!浜田麻里より1才年下で、2005年に復活した「SHOW-YA」寺田恵子姐さんでさえ「限界ラバー」のシャウトでトーンを落としているのに・・・。まったくもって凄いの一言!



まさにメタルクイーン降臨!完全復活した彼女をぜひみんなにみて聴いてもらいたい。
きっとハードロックやヘビメタといったジャンルを好きじゃない人も感動すると思う。

次はアルバム「sense of self」から「Ash And Blue」。
もう完全に浜田節炸裂です。



次はアルバム「elan」から「Ilinx」。
この曲けっこうはまってます!



次はアルバム「Surlie」より「Heartbeat Away From You」。
2002年にライブ活動を再開後の彼女のアルバムは、どれも哀愁を帯びた大人のロックに仕上がっていて、いわゆる「捨て曲」というものが1曲もありません。
素晴らしい出来ばえです。



次は25周年を迎えて発表したアルバム「Reflection -axiom of the two wings-」より「Fantasia」

デビュー25周年の2008年の冬に行われた全国ツアー『25th Anniversary Mari Hamada Tour 2008“On The Wing”からファイナルとなった12月7日渋谷C.C.レモンホールのライヴではその1週間ほど前に、浜田麻里をデビューさせて初期の浜田麻里をプロデュースし、音楽的にも絶大な影響を与えた「ラウドネス」のドラマーでありリーダーでありプロデューサーの樋口宗孝が亡くなったばかりだったんです。

そんなことがあってもライブをこなさなければならなかった彼女の心境には計り知れないものがありました。ライブのDVDではステージでは決して涙を見せたことのない彼女が号泣してしまう一幕もありました。



同じくオープニングのPrologue-World soul-〜Eagle-hard rock mix。



そして次の2曲は2010年2月発売の最新アルバム「AESTETICA」から!





今後彼女のような凄い女性ボーカリストはもう出てこないんじゃないかな?
でも今後若い女性ボーカリストの中からも彼女のような存在が誕生してくれることを望んでやまない!
右斜め上

ちなみにやはりジャンルはヘビメタで、しかも純和風妖怪系メタルバンドで一見キワモノ好きしか好まないようにみえる「陰陽座」」というバンドの女性ボーカリスト「黒猫」浜田麻里に最も近いボーカルスタイルで実力もかなりあると思う!
わーい(嬉しい顔)

ちなみに「黒猫」も浜田麻里に影響を受けていると公言しています。



●浜田麻里おいらのオススメの曲

(メタル・ハード調)
DON'T CHANGE YOUR MIND
BLUE REVOLUTION
NOAH
SPIRAL GALAXY
FANTASIA
ALL NIGHT PARTY

(哀愁漂う曲)
PARADOX
NOSTALGIA

(ポップ調の曲)
HEY MR.BROKEN HEART
RETURN TO MY SELF
HEART AND SOUL

(バラード調の曲)
ANTIQUE

●浜田麻里おいらの中のBEST3

@BLUE REVOLUTION
APARADOX
BDON'T CHANGE YOUR MIND

●浜田麻里おいらのオススメのDVD

25thライブDVD
2002年marigoldライブDVD
20thライブDVD

浜田麻里デビュー20周年ライブのDVDでは、20曲以上も歌った後のもう喉が限界まで疲れきっているハズの彼女が、アンコールの最後の最後で
彼女の初期の超ヘビメタナンバー
「DON'T CHANGE YOUR MIND」
「まさかリリースから20年たって歌うことになるとは思わなかったなあ〜!この曲で〜す!」
という彼女のMCのあと、超絶シャウトで昔以上のハイトーンシャウトで歌いきったときは、おいら、もう感動のあまり涙が溢れ出ました!
もうやだ〜(悲しい顔)


posted by isaku at 23:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 浜田麻里

PRODIGY (プロディジー)/ Breathe(ブリーズ)

PRODIGY (プロディジー) は、イギリスのテクノバンドである。 初期はハードコア・テクノ、1990年代後半からはビッグ・ビートの曲をリリースしている。 アンダーワールド、オービタル、ケミカル・ブラザーズと共に、「テクノ四天王」とも呼ばれる (様々なジャンルの「世界三大」「世界四大」などと同様、日本でのみ通用する呼称である)。 リーダーのリアム・ハウレットはクラシック音楽の英才教育を受けて育ったが、多感な青年期にヒップホップのDJをも経験していることから、プロディジーの音はクラシックの展開・構成力とヒップホップのリズム感やビートのパターンを兼ね備えたものとなった。 特に初期の諸楽曲は、レッド・ツェッペリンの音楽さながら見事にクラシック的な起承転結の上に成り立っている。

ビッグ・ビートに方向転換したシングル 「Firestarter」 をリリース。 翌1997年にサードアルバム 「The Fat Of The Land」 をリリース。 全世界で1000万枚を超えるヒットを記録し、一躍世界的にメジャーなアーティストとなる (英米加豪4カ国を含む全世界22カ国の最主要アルバムチャートにて初登場1位を記録した)。 また同年にはフジ・ロック・フェスティバルに参加したが天候不順のためライヴは行われなかった。翌1998年にも参加し、ライヴを行った。

動画はアルバム「The Fat Of The Land」からBreathe(ブリーズ)。
管理人はジムでトレーニングするときPRODIGY (プロディジー) の曲を「ipod-shuffle」で聴きながらやってます。気合が入っていいですよ!


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Nirvana(ニルヴァーナ)/ smells like teen spirit(スメルズ・ライク・ティーン・スピリット)

Nirvana(ニルヴァーナ) は、グランジを代表するアメリカのバンド。ジェネレーションXと呼ばれる世代の圧倒的な支持を受けた。ニルヴァーナは仏教用語で涅槃という意味である。メンバーはカート・コバーン(Kurt Cobain(※カート・コベインが正しい読み), ボーカル、ギター)、クリス・ノヴォセリック(Krist Novoselic, ベース)、デイヴ・グロール(Dave Grohl, ドラム)の3人。1987年にニルヴァーナと名乗りシアトルを拠点として活動していたが、1994年4月5日、カート・コバーンが自宅で自殺したことで事実上の解散となる。

メンバー全員(カート、クリス、デイヴ)の両親が離婚している事でも知られている。

ゲフィン・レコードよりリリースされた2ndアルバム『ネヴァーマインド - NEVERMIND - 』はアルバム・チャート1位を記録、MTVではシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット - Smells Like Teen Spirit - 」が繰り返し流され、バンドと当時のロックシーン両方の流れに大きな影響を与えた。幼児が水中を裸で泳ぎ、紙幣に釣られるという印象的なジャケットも特徴で、パロディや服のデザインとしての使用も多い。

カートのヘロイン中毒という問題を抱えていたバンドは一時活動麻痺の状態となり、1992年にコンピレーションアルバムである『インセスティサイド - Incesticide - 』を発表することとなった。続く1993年にはニューアルバム『イン・ユーテロ - IN UTERO - 』を発表している。予想された程の売れ行きではなかったがアメリカとイギリスのチャートのトップに輝くなど依然商業的な成功を収めた。

しかしながら、巨大な成功から来る重圧に耐えられなくなり次第にドラッグにのめりこんでいったカート・コバーンは、自殺未遂や奇行が目立つようになり、ついには1994年4月5日にシアトルの自宅にてショットガンで頭を撃ち抜き、自殺。グランジ・ブームは急速に終焉を迎える。

カートの死後ライブ版を含む何枚かのアルバムがリリースされている。 ニルヴァーナの音楽の所有権に関しては多くの論争があった。2人の残ったメンバーであるグロールとノボセリックおよび妻のコートニー・ラヴはレア音源やリリースされていない曲の発表に関する問題で激しく議論した。2002年10月29日に法廷で決着がつき、ヒット曲やカート生前最後のレコーディング音源である未発表曲「You Know You're Right」を含むアルバム『ニルヴァーナ - Nirvana - 』が発表された。

動画は「smells like teen spirit(スメルズ・ライク・ティーン・スピリット)」ヘヴィなサウンドと退廃的な歌詞が管理人は気に入ってます。 


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THE SMASHING PUMPKINS (ザ スマッシングパンプキンズ)/ The Everlasting Gaze

THE SMASHING PUMPKINS (ザ スマッシングパンプキンズ) は、1988年にアメリカ合衆国シカゴでビリー・コーガンを中心に結成されたロックバンド。1990年代以降のロック音楽を代表する存在である。日本における略称は、「スマパン」。

現在のメンバーはビリー・コーガン(ボーカル・ギター)、ジミー・チェンバレン(ドラムス・パーカッション)、ジェフ・シュローダー(ギター)、ジンジャー・レイズ(ベース)。

全作品を通じて、ドラマチックな楽曲構成やその歌詞は他のバンドの追随を許さないものである。一方、ボーカルのビリーの個性的な声から、ロックファンの間でも賛否両論に分かれる。

デビュー時期から頻繁にニルヴァーナと比較され、陽の目を見ない時期もあったが(ギグを行えば常に会場を満員にしていたニルヴァーナに比べ、客が数人ということもざらだったらしい)、2作目のアルバム『サイアミーズ・ドリーム』(1993年)と、続く2枚組の大作アルバム『メロンコリー そして終りのない悲しみ』(1995年)でその独創性を発揮し、一躍オルタナティブ・ロックのアイコン的存在となる。

しかしそんな中、1996年7月、ツアー中のニューヨーク市においてヘロインの薬物中毒によりサポートメンバーのジョナサン・メルビンが死亡するという事件が起こった。事件当夜、ジョナサンと同室でドラッグを使用し、逮捕されたドラマーのジミー・チェンバレンはバンドから解雇された。

そしてバンドはドラム不在により音楽性を変更し、ピアノやアコースティックギター、そしてリズムマシーンを使いアルバム『アドア』(1998年)を制作する。同作は、ニューウェーブからの影響を感じさせるメランコリックで非常に美しい作品であり、日本では高い評価を得た。だが、ギターロックを期待していた米国のリスナーに理解されず売上が伸びなかった。

1999年、ビリーの呼びかけによりジミーがパンプキンズに復帰することになった。しかし、そのことに不満を持っていたダーシーが、ジミー復帰後間もなくして脱退する。2代目ベーシストとしてメリッサ・アウフ・ダー・マウア(Melissa Auf der Maur)が加入。しかし、この時すでにバンド内では解散が決定しており、farewellアルバム(さよならアルバム)として2000年に『マシーナ/ザ・マシーンズ・オブ・ゴット』を制作し、その後の12月2日、デビューと同じステージでのライブをもって解散した。 


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METALLICA (メタリカ)/ St. Anger(セイントアンガー)

METALLICA (メタリカ) は1981年にアメリカのロサンゼルスで結成されたヘヴィメタル・バンド(後に本拠地をサンフランシスコに移した)。初期はスレイヤー、アンスラックス、メガデスと共に「スラッシュメタル四天王」の一角と言われており、1990年代の全米アルバム総売り上げ4位のビッグ・バンドである。ジェームズ・ヘットフィールド (Vo/G) とラーズ・ウルリッヒ (Dr) らが中心になって結成された。

スラッシュメタルの先駆者としても知られ、1stアルバムではNWOBHMの影響を存分に受けたスラッシュ一辺倒であったが、2nd - 4thアルバムでは叙情的なフレージングと冷徹なヘヴィリフのコントラストを芸術的に融合させたヘヴィメタルを展開。

古典的なヘヴィメタルの様式美とは若干異なり、何処か冷ややかさのある耽美的な美旋律が特徴である。そういった音楽性からヘヴィメタルの臨界点に達したバンド、理想系を築き上げたバンドと言っても過言ではない。

また5thアルバムからはヘヴィネスに特化した音作りが中心となり、昨今のラウドロックバンドに大きな影響を与えた。

他アーティストの楽曲のカバーバージョンもレパートリーにしており、シン・リジィ(『ウィスキー・イン・ザ・ジャー』)・バッジー(『ブレッドファン』など)・モーターヘッド(『オーヴァーキル』)の70年代ブリティッシュ・ハードロックや、ダイアモンド・ヘッド(『ヘルプレス』など)をはじめとするNWOBHM勢の曲、ハードコア・パンクバンドのアンチ・ノーウェア・リーグの曲(『ソー・ホワット』)も含まれており、ここからメタリカのルーツを知ることができる。 


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posted by isaku at 22:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | METALLICA (メタリカ)

Prince(プリンス)/ Kiss(キッス)

Prince(プリンス) (Prince, 1958年6月7日 - )はアフリカ系アメリカ人のポピュラー音楽のミュージシャン。本名、プリンス・ロジャーズ・ネルスン(Prince Rogers Nelson)。ミネソタ州ミネアポリス出身で現在に至るまで同地に在住している。1984年頃まで1961年生まれということにしていた。

1978年のファーストアルバム以降、ロック、ファンク、ソウル、ブルース、ジャズ、ニュー・ウェーヴ、ヒップ・ホップを自在に取り込んだ唯一無二のスタイルで音楽を創造しつづけ、第一線で活躍しながら多くの信奉者を生んでいる。ミネアポリスサウンドと呼ばれるムーヴメントの中心的存在。この先、何十枚でもアルバムを発表できるだけの楽曲のストックがあるといわれ、またどれほど優れた曲であろうともアルバムの流れから外れた曲は表に出さないという主義から、多大な数のブートレグを生んでいる。その特異な才能への敬意と Prince という名にちなみ、日本のファンは彼を「殿下」と呼ぶ。 


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MADONNA(マドンナ)/ Like A Prayer(ライク・ア・プレイヤー)

MADONNA(マドンナ) (Madonna 本名:Madonna Ciccone Ritchie、1958年8月16日-)は、アメリカ合衆国ミシガン州出身の歌手、女優。夫は映画監督のガイ・リッチー。愛称は代表曲から来た「マテリアル・ガール」、近年では「ポップス界の女王」とも言われる。

80年代初頭のニューヨークのダンスクラブ・シーンから生まれ、大ヒット曲『ライク・ア・ヴァージン』を起にポピュラー音楽のチャートを君臨し、その大胆で挑発的なイメージで一躍世界的なメガスターになる。アルバムの代表作に『トゥルー・ブルー』、『ライク・ア・プレイヤー』、『レイ・オブ・ライト』などがあり、シングルの代表作に『ライク・ア・ヴァージン』、『ヴォーグ』、『ハング・アップ』など多数ある。

MTVの登場により人気を得たミュージック・ビデオを巧みに活用しながらポップアートと音楽を融合し、現象的な成功を収める。セックス・シンボルとして不動の位置を固めるが、その後多様なイメージの変遷を繰り返し現在に至る。彼女の活動は音楽にだけに止まらず、レコード会社の設立、映画や舞台への出演、そして近年では児童書の執筆や映画監督なども行っている。2000年の『ギネスブック』では「史上最も成功した女性アーテイスト」とも記録された。

2008年には、ロックの殿堂入りを果たしている。 


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posted by isaku at 22:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | MADONNA(マドンナ)

HALL & OATES (ホール&オーツ)/ Private Eyes(プライベートアイズ)

HALL & OATES (ホール&オーツ)ダリル・ホール&ジョン・オーツ (Daryl Hall & John Oates) は、アメリカのポップス・デュオである。ダリル・ホールと、ジョン・オーツの2人で構成される。1972年にデビュー。1970年代中盤にブレイクを果たすが、その後は低迷する。しかし1980年代に入ると、R&Bやソウルのテイストを取り入れたポップスで人気を博した。いわゆるブルー・アイド・ソウルと呼ばれるジャンルのアーティストの一つである。1985年に行なわれたライヴエイドに出演。元テンプテーションズのエディ・ケンドリックス、デヴィッド・ラフィンと共演している。その後、1991年に解散したが、1995年に再結成を果たし、現在も精力的に活動を続けている。

動画は「Private Eyes:プライベート・アイズ」。1981年11月7日付〜11月14日付、2週連続全米No.1になった。 


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優峰(ゆうき) / 蓮華 / Happy?Happy?Happy!!

「 優峰 (ゆうき) 」 は日本の歌手。
2003年6月 「Happy?Happy?Happy!!」 翌2004年2月 「蓮華」 を音楽配信。2004年9月CD 「蓮華」 をリリース。

管理人がこのブログで初めて紹介する日本人アーティスト「優峰 (ゆうき)」
透明感のある素直で透き通った歌声が管理人は気に入っています。

優峰
試聴はコチラ!!
↓↓↓

「蓮華」

「Happy?Happy?Happy!!」


「優峰」オフィシャルサイトはこちら!!
posted by isaku at 14:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 優峰(ゆうき)

Clash(クラッシュ)/ Should I Stay Or Should I Go?

Clash(クラッシュ)は、1976年 - 1986年にかけて活動した、イギリス・ロンドン出身のパンク・ロックバンドである。セックス・ピストルズと並び称されるロンドン・パンクの雄でありながら、ステレオタイプのパンク・ロックの枠にとらわれず、レゲエやダブなどの音楽的要素を貪欲に吸収し、独自の個性を確立してシーンに大きな影響を与えた。

最も成功したパンクバンドの一つであり、また、時代を象徴するロックバンドでもある。1stアルバムは音楽的にパンク色の強いものであったが、徐々にレゲエやダブ、ロカビリー、ジャズ、スカといった様々な音楽の要素を取り入れ、3rdロンドン・コーリングを代表とするいわゆる普通のパンクサウンドとはかけ離れた、幅広い音楽性を持った傑作を生み出した。また、ステージ上での激しいパフォーマンスも人々に記憶されている。

彼らはその活動当初から、音楽の才能と歌詞で他のパンク・ロックバンドとは一線を画す存在であった。特にジョー・ストラマーとミック・ジョーンズによって書かれた歌詞は、情熱的かつ左翼的政治主張を強く意識したものであり、アナキズムの色が色濃く主義主張をどちらかと言えば歌い散らかしていただけのセックス・ピストルズや、シンプルなパンク・ロックを指向していたラモーンズとは非常に異なった、非常に主張性、論旨性の強いものであった。

彼らはデビュー当時から早くもその発言、ファッションをセンセーショナルに受け止められたバンドではあったが、セックス・ピストルズには業界人マルコム・マクラーレンを中心とした、いわば「作為的なムーブメントバックアップ」が大きくついていたのに対し、クラッシュにはそれほどの後ろ盾が無く、初期は金銭面でのやりくりに苦労した(ジャケットやシューズなどの衣装が買えず、自分たちで自作していたほどだったとジョー・ストラマーは自伝で語っている)。中心人物のジョー・ストラマーは労働階級出身者の多いパンクバンドのメンバー中では珍しい中産階級出身ではあるが(父親は外交官)、後ろ盾が希薄なバンド発足時は切り詰めた生活を送っていた。(クラッシュにもバーニー・ローズという代表的マネージャーは存在。)

その後、クラッシュは音楽性の幅を広げ、他のパンクバンドとは一線を画した作品をリリースすることになる。3rdロンドン・コーリングは今までパンクをこき下ろしてきた英の音楽批評誌にも絶賛され、4thには三枚組の意欲作サンディニスタ!を発表。本国だけではなく米でも次代を担うバンドの一つとしての評価を確立する。

しかし、徐々にメンバー間に不協和が生まれ、まずドラマーのトッパー・ヒードンが、さらにはリード・ギタリストのミック・ジョーンズがグループをクビになってしまう。 ジョー・ストラマーとポール・シムノンは新メンバー3人を迎えた新体制で再出発を図るが、発表したアルバム「カット・ザ・クラップ」はメディア、ファン両者の支持を得られず、結局バンドは解散する。

ジョー・ストラマーはソロとして活動したが、2002年12月22日にサマセット州ブルームフィールドにある自宅で心臓発作で死去。


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posted by isaku at 11:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | Clash(クラッシュ)

Runaways(ランナウェイズ)/ Cherry Bomb(チェリーボンブ)

Runaways(ランナウェイズ)は、1975年にアメリカで結成され、1979年に解散した元祖ガールズロックバンド。 近年では音楽面での再評価も進み、パンク・ロックのさきがけとも位置づけられる(彼女らのレコードデビューはラモーンズやダムドと同年、セックス・ピストルズの1年前である)。

Cherie Currie/シェリー・カーリー(Vo,Key)
Joan Jett/ジョーン・ジェット(Gt,Vo)
Lita Ford/リタ・フォード(Gt)
Jackie Fox/ジャッキー・フォックス(B)
Sandy West/サンディ・ウェスト(Ds)
の5人のメンバーで構成。

デビュー当時の平均年齢は16歳、ガールズ・ロック・バンドの草分け的存在である。中でも、ヴォーカル・シェリーのコルセットとガーターベルトのほとんど下着姿という過激なファッションは衝撃的であり、1976年のデビュー曲「Cherry Bomb(邦題:悩殺爆弾)」で一気に世間の注目を浴びた。本国よりも日本での人気が高まり、1977年に来日公演も行った。

そうした人気の絶頂の中、シェリーとジャッキーが相次いで脱退する。後任には、新たにVicki Blue/ヴィッキー・ブルー(B)を迎え、リード・ヴォーカルはジョーンに引き継がれるが、看板ヴォーカルであるシェリーが抜けたことは、バンドにとって大きな痛手で、2枚のアルバムをリリースするもバンドとしての勢いは下降を辿っていった。

1979年には後から参加したヴィッキーも脱退し、Laurie McAllister/ローリー・マカリスター(B)に交代するが、直後にはリーダーであるジョーンも脱退を表明、ランナウェイズはロック界から姿を消した。


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Procol Harum(プロコル・ハルム)/ A whiter shade of pale(邦題:青い影)

Procol Harum(プロコル・ハルム)は1960年代から1970年代に活動したイギリスのロックバンド。デビュー曲「青い影」(1967年)は世界的な大ヒットを記録し、バンドは一躍スターダムにのし上がった。クラシックやブルースの要素を色濃く取り入れた独特の作風で人気を博した。


青い影 - A Whiter Shade of Pale
1967年4月にシングル・リリースされた彼らのデビュー曲。発売後2週間で40万枚近くを売り上げ、イギリスのヒット・チャートで6週間連続1位に輝いた。60年代の英国ロック界で、ビートルズの諸作品を凌ぎ最も大きな商業的成功を収めた楽曲とも言われる。マシューのオルガンによる荘重なイントロダクションは、バッハのカンタータ140番「目ざめよと呼ぶ声あり」をモチーフにしたとされ、CMやTVドラマなどでたびたび使用されているため日本人にもなじみの深い曲である。キースの象徴的で難解な歌詞に乗って、ゲイリーのソウルフルな歌声が聴き手の心を捉える。発売当時のファースト・アルバムには収録されていなかった。
ジョー・コッカーやサラ・ブライトマンによるこの曲のカヴァー・バージョンも、多くの人々に親しまれている。
ジョン・レノンも生前にこの曲をお気に入りのひとつとして挙げており、「人生でベスト3に入る曲」と語っていた。また、発表当時の1967年には「今の音楽業界でこの曲以外は聴く価値がない」とまで言っていた。
日本のポピュラー・ミュージシャンにも影響を与え、松任谷由実はこの曲をきっかけに音楽を自作するようになったという。
なお、日本語の題名は「青い影」となっているが、原題の「shade」は「影」ではなく、「色合い、色調」という意味であり、原題は「蒼白な」「白に近い色調」という意味になる。2006年にはアンジェラ・アキが「Kiss Me Good-Bye」のB面でカヴァーしている。
この曲ができた当時はマルチ(多重)トラックも発達し、ステレオ録音は当然となっていだが、この曲はあえて、モノラルっぽい作りになっており、一聴すると50年代っぽい雰囲気を醸し出している。1967年当時の曲と比較しても異色だったといえる。  


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Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン)/Summertime(サマータイム)

Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン)(1943年1月19日 - 1970年10月4日)は、アメリカのロックシンガー。魂のこもった圧倒的な歌唱力と特徴のある歌声により、1960年代を代表する歌手として活躍。また死してなおロックの歴史を代表する女性シンガーとして現在に至るまで人気を博している。

ジャニス・ジョプリンはテキサス州ポート・アーサーに生まれた。父セス・ジョプリンはテキサコに勤める労働者で、家族は両親とマイケル、ローラの三人兄妹であった。ジョプリンは小さな頃からベッシー・スミスやオデッタ、ビッグ・ママ・ソーントンなどのブルースを聞いて育つ一方、地元の聖歌隊に参加している。1960年にポート・アーサーのトーマス・ジェファーソン・ハイスクールを卒業しテキサス大学オースティン校に入学した。高校では他の生徒から孤立しがちであったが、仲の良かったグラント・リオンズという生徒にレッドベリーのレコードを聞かされたのを契機にブルースやフォーク・ミュージックにのめり込むようになった。

大学をドロップアウトしたジョプリンは1963年にテキサスを離れサンフランシスコへと向かった。フォーク・シンガーとして生計を立てていたが、この頃から麻薬の常習が始まったとされる。覚醒剤やヘロインの他にアルコールも大量に摂取していた。彼女のお気に入りの銘柄は「サザン・コンフォート」であった。

当時の女性シンガーについて当てはまることであるが、ジョプリンの外的なイメージと内面には大きな隔たりがある。後に彼女の姉妹が著わした手記『Love, Janis』には彼女が知的でシャイ、繊細な家族思いの人物であったことが記されている。

 1967年、モントレー・ポップ・フェスティバルにおける演奏で大きな注目を集めるようになった。1969年に『I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!』をリリースして、ウッドストック・フェスティバルにも出演した。

彼女が生前最後に公の場に姿を現したのは1970年6月と8月に放映されたテレビ番組であった。6月の番組で彼女は高校の同窓会に出席する予定だと述べた。同じ番組で、自分は今までクラス、学校、町、そして国中の笑い者だったとも語っている。一躍スターとなり彼女は同窓会に出席したが、その際も疎外感の中、孤独な表情がカメラに押さえられている。この一件はジャニスの孤独感を表す象徴的なエピソードとして語られている。

1970年10月4日、アルバム『Pearl』の録音のため滞在していたロサンゼルスのホテルで死亡されているのが発見された。27歳没。使用したヘロインが通常のものより高純度であったため、致死量を越えたことが原因であるとされる。録音中だったアルバムの収録曲のうち、Mercedes-Benz はアカペラの仮録音、そして Buried Alive in Blues は本人の歌が録音できないまま演奏だけが収録されている。遺灰はカリフォルニアで海へ撒かれた。

ジョプリンの死後制作された1971年発表のアルバム『Pearl』は、彼女の短いキャリアにおける最高の売り上げを記録した。

1970年を境にしたこの時期、たくさんのロックアーティストたちが亡くなっています。ジャニスジョップリンの他、ジミヘンドリックスや、ドアーズのジム・モリソンさらにビートルズの解散と、この時期ロックは衰退期に入っていきました。



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Duran Duran(デュラン・デュラン)/ Is There Something I Should Know(邦題:プリーズ・テル・ミー・ナウ)

Duran Duran(デュラン・デュラン)はイギリスのロックバンド。1978年、イギリスのバーミンガムにて結成。 1980年代前半のニューロマンティックといわれるムーブメントやMTVブームの火付け役。 バンド名はジェーン・フォンダが主演したSF映画『バーバレラ』(1968年)で登場する悪役「デュラン・デュラン(Durand-Durand)博士」より。

欧米では、フロントマンのサイモン・ル・ボンの人気が高かったが、日本では長身・長髪・細身のベースプレイヤー・ジョン・テイラーの女性人気が特に高かった。  


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Men At Work (メン・アット・ワーク)/ Down Under(ダウンアンダー)

Men At Work (メン・アット・ワーク)はオーストラリアのバンド。

1979年にデビュー。1981年にアルバム『ワーク・ソングス(Business as Usual)』をリリース。アルバムの好評を受けて1982年に世界進出する。いきなり「ノックは夜中に(Who Can It Be Now?)」、「ダウン・アンダー」の2曲の全米ナンバーワンヒットを放ち、グラミー賞最優秀新人賞にも輝いた。

コリン・ヘイのひょうひょうとした歌声と、オーストラリアのことを世界地図の下側にあるから自虐的に「ダウン・アンダー」と表すユーモアセンスが受け、一時はオーストラリアのロックを指して「オージー・ロック」なる言葉も生まれた。

余勢を駆って次作の『カーゴ』もヒットするが、メンバーの脱退もあって後が続かず、1985年に活動を停止。ヘイはソロ活動に移行したが成功には至らなかった。

また、2000年シドニー五輪の閉会式においてライブパフォーマンスを行った。


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Talking Heads (トーキング・ヘッズ)/ Wild Wild Life(ワイルドワイルドライフ)

Talking Heads (トーキング・ヘッズ)は1974年に結成、1991年に解散したアメリカのロックバンド。

トーキング・ヘッズは、ニューヨーク・パンクの拠点となったライブハウス「CBGB」出身のバンドで、1970年代半ばから1980年代後半にかけて活動した。メンバーは名門美術学校の出身で「インテリバンド」と呼ばれることが多く、初期はパンク/ニューウェーブバンドとされていたが、ボーカルのデヴィッド・バーンがアフロ・リズムに傾倒し、それを大胆に楽曲に取り入れるようになると、ポスト・パンクとされるようになった。

バンドはデヴィッド・バーン (ボーカル、ギター)、クリス・フランツ (ドラム、バック・ボーカル)、ティナ・ウェイマス (ベース、バック・ボーカル)、ジェリー・ハリソン (キーボード、ギター、バック・ボーカル)の4人編成だが、1980年のアルバム『リメイン・イン・ライト』前後から、サポート・メンバーを大々的に起用し、ビッグ・バンド編成でライブを行うようになった。1981年からはライブの最中にバンド内バンド「トム・トム・クラブ」のコーナーを組み込むようになった。

デヴィッド・バーンの都会的な神経症を連想させるボーカルやライブ・パフォーマンス(痙攣パフォーマンスとブカブカなシャツ)が特徴的で、歌詞は「家」や「心地良い(悪い)空間」をテーマにしたものが多い。また、楽曲製作では『リメイン・イン・ライト』製作時からインプロヴィゼーションの要素を取り入れている。

ジョナサン・デミによるライブの記録映画『ストップ・メイキング・センス』をはじめ、「ワンス・イン・ア・ライフタイム」や「ロード・トゥ・ノーウェアー」のミュージック・ビデオなど、映像作品の評価も高い。


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Ultravox(ウルトラヴォックス)/ New Europeans(ニューヨーロピアン)

Ultravox(ウルトラヴォックス)は1975年にロンドンで結成されたイギリスのロックグループである。

グループ結成者の一人であるジョン・フォックス(John Foxx)が在籍した時期(1975年-1978年)は、ニューウェーブのさきがけとして活躍した。初期のグループ名である"Ultravox!"の"!"はドイツの音楽グループ"Neu!"を真似たものであり、サウンド的にはジャーマン・ニューウェーブ/テクノの影響が大きい("Systems of Romance"の頃より"!"が省略された)。ブライアン・イーノ(Brian Eno)[1stアルバム]やスティーヴ・リリーホワイト(Steve Lilywhite)[1st,2ndアルバム]、コニー・プランク(Conny Plank)[3rdアルバム]と次々に著名な人物をプロデューサーに迎えた。しかし、ジョン・フォックスはソロ活動を希望しグループ活動に飽きたという理由で、三枚目のアルバムを制作した後にグループを脱退した。

ジョン・フォックス脱退後はビリー・カーリーの友人でもあったことから、新しいヴォーカル担当としてヴィサージのメンバーであったミッジ・ユーロ(Midge Ure)が加入することとなった。前のアルバムと同じくコニー・プランクのプロデュースのもと、アルバム『ヴィエナ』を1980年にリリースした。このアルバムはジョン・フォックス時代と比較するとサウンドの方向性を変えたためセールス的にも大成功をおさめた。その音はシンセサイザーやシーケンサーのサウンドを強調したテクノ/エレクトリック・ポップブームが生み出した傑作としてロックの歴史に残ることとなり、それまでパンクロックに夢中だった世界中の若者たちをシンセサイザーの虜に変えてしまった。ちなみに、日本にはサントリーのCMにアルバム収録曲であるこの動画「New Europeans(ニューヨーロピアン)」が使われたりするなどして知られるようになり、またYMO等の曲にも影響を与えたとされる。 次のアルバムである『エデンの嵐』はプロデューサーとして同様にコニー・プランクを迎え、さらにドイツ・ケルンにあるプランクのスタジオで録音された。そのアルバムは1982年にリリースされたが、前作以上の売れ行きとなった。

しかし、シンセサイザーの音を強調したテクノポップ路線という方向性はそれ以降徐々に失われることとなった。『カルテット』ではビートルズのプロデューサーとして知られるジョージ・マーティンを迎えて作成され、よりセールス的に有利となるポップス路線が強調された。 そして、相次ぐメンバー脱退により"U-Vox"リリース後に一時解散してしまう。それまでグループの看板であったミッジ・ユーロがソロとして活動するために脱退してしまったからである。

その後、唯一のオリジナルメンバーであるビリー・カーリー(Billy Currie)個人のプロジェクトとして再結成し、現在まで三枚のアルバムの発表しているが、評価としてはミッジ・ユーロのいた時期には及んでいない。


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CULTURE CLUB (カルチャー・クラブ)/ Do you really want to hurt me(君は完璧さ)

CULTURE CLUB (カルチャー・クラブ)( 1951年5月8日)は1981年、イギリスのロンドンで結成したポップ・ミュージック・バンドである。

バンドの中心人物は奇抜な女装(ゲイファッション)とソウルフルな歌声で世間を釘付けにしたボーイ・ジョージである。ビジュアル面で注目されることが多かったバンドであるが、ソウルミュージック、特にモータウンの影響を受けた楽曲の良さでも評価されるべきである。また『カーマは気まぐれ』などのストーリー性のあるPVも当時話題を呼んだ。

1982年 正式にヴァージン・レコードと契約。5月に『ホワイト・ボーイ』でデビュー。9月にLP『キスゥイング・トゥー・ビー・クレバー』、10月には紹介している動画「Do you really want to hurt me(君は完璧さ)」が全英1位になる。
1983年 シングル『カーマは気まぐれ』をリリースし、全英と全米で1位に輝く。日本でも大ヒットし、「♪カマカマカマカマ」と当時の小中学生が口ずさむほど馴染み深いものであった。10月に2nd LP『カラー・バイ・ナンバーズ』(Colour by Numbers) を発表、22日付け全英1位になる (のちに日本のオリコンLPチャートでも1位になる)。


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Philip Bailey(フィリップ・ベイリー)/ Easy Lover(イージーラバー)

Philip Bailey(フィリップ・ベイリー)( 1951年5月8日)はアメリカコロラド州デンヴァー生まれのR&B、ソウル、ゴスペル、ファンクの歌手。ファルセットヴォイスが特徴で、特にアース・ウィンド・アンド・ファイアー(EWF)のメンバーとして知られる。

1971年にEWFに加入するまでは、フェニックス・ホーンズのヴォーカリストをしていた。1990年代後半にEWFのリーダーのモーリス・ホワイトがパーキンソン病に罹り、一線を退いてからは彼がステージで統制を執っている。

ソリストとしても活躍しており、フィル・コリンズやエリック・ベネイ等とデュエットしている。特にこの動画で紹介している、フィル・コリンズとのデュエット曲、"Easy Lover(イージーラバー)"(Chinese Wall収録)が有名です。

"Easy Lover(イージーラバー)"では2人ともいい味出してますねぇ〜。Philip Bailey(フィリップ・ベイリー)のファルセットヴォイスもいいですが、フィル・コリンズが特にいい味出してますね。この親父只者ではありません。最高にかっこいいです!! 


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Tears for Fears(ティアーズ・フォー・フィアーズ)/ shout(シャウト)

Tears for Fears(ティアーズ・フォー・フィアーズ)はイギリスの2人組 バンド。1980年代に数々のヒット曲を放った。

初期は、シンセサイザーを多用しながらアコースティックな印象すら与えるたおやかな音使いをしており、当時流行したエレポップと呼ばれる音楽性の範疇にありながら、歌詞の繊細さとよくマッチしたサウンド・メイクが特徴となっている。やがてローランド・オーザバルのギターサウンドを核に、王道とも呼べる良質なブリティッシュ・ロックを聞かせるバンド・サウンドへと変化していく。  

動画は1984年の12月にリリースされたシングル「シャウト」。「シャウト」はMTVにおけるビデオ・クリップの頻繁なオンエアも手伝い、全英2位、全米1位を記録。


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